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2009-10-25 22:26 | カテゴリ:未分類
夜が明ける前、昨晩からの雨が降り続く梅雨のある日、僕は老夫婦が目覚める前にこっそりとシェルターを抜け、改築前からある古い納屋に行ってみたことがある。
手入れの行き届いた庭には不釣り合いなそれが、ずっと気になっていたからなんだ。
納屋の戸は簡単には開かなかった。鍵がかかってるわけじゃない。締め切られた時間が長すぎたそれは支柱から傾いて、木枠そのものが歪んでしまっていた。力任せに引いても軋んだ泣き声をあげるだけで、すでに160センチを越えた僕が入り込めるような隙間にはならないかった。

生温い雨が長く伸びた髪を濡らす。汗が噴き出してベージュのTシャツを内側から湿らせる。
庭に咲いた紫陽花が滴を垂らして、屋敷から差した弱い光がそれに乗り移りながら、芝生に落ちてゆく。

老夫婦を起こさないように冷静に、だけど、力を込めて戸を引く。音にならないように指に力を加える。泣く戸が濡れた。
何があるかは知らない。何を探しているのか、自分でも分からない。
だけど、この戸は、この閉じられたままの時間は、僕によって開かれなくてはならない。
根拠なんてない、直感だ、でも、僕はこれを開かななければならない。
その想いだけが僕を動かし続けた。意味なんかいらない。閉じられたものを開いてやる。

ひたすら続けるうちにようやく20センチほどの隙間になり、僕は納屋のなかを懐中電灯で照らしてみた。
吹き込んだ風がなかの埃を舞い上がらせた。雪が降る景色を逆回転させてるように見えた。隙間が黴の臭いを吐き出す。
納屋のなかには高価そうなものはなく、古びた農器具が乱雑に積まれ、元の色が判らないくらい煤けたランプ・シェードや弦のないギターが放り込まれているだけだった。
アップライトのピアノも埃の住家になっていた。

僕がそのなかで見つけたのは、小さなラジオだった。CDもカセットも使えない、電波を受信するだけの箱だ。
でも。
でも、これは外界に流れる情報を捕まえることができる機械だ。
外の世界に繋がることができる、そう思った僕はパジャマ代わりのTシャツのなかに忍ばせて、戸を開いたまま自室のシェルターに戻った。
老夫婦は気づくかもしれない。いや、きっと気づくだろう。
構わない。ラジオを持ち去ったことを黙っていれば、それでいい。

エアコンのダクト、かためられたパテをペンでえぐり開け、アンテナを突き刺した。
砂嵐が吹き、なんどもチューナーを合わしているうち、ようやく電波をキャッチしたラジオは僕が聴いたこともないノイズに似た音楽を奏で始めた。奏でる、なんて形容では足りない。

ラジオは狂騒と焦熱を叫び始めた。
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2009-10-14 22:53 | カテゴリ:未分類
魔女の爪みたいに鋭くて尖った冷たい風のなかをゆく。昨晩降った雨……知らないうちに雪になっていたかもしれない……が水溜まりを凍らせて、泥を混じらせた土色のリンクで歓声をあげる子供達の姿が見えた。
黄色いスケート靴を履いて赤いダウンジャケットを着ていた。灰に染まった視界に眩しい原色。
まるで妖精。
僕は沈黙した街をひとり歩いていた。
表面が凍り、ぱりぱりと枯れ葉を踏むような音がついてくる。
彼女が待つ、この街でいちばん大きな病院へ。
不慣れな口笛を鳴らすと北風がいっそう強くなった、そんな気がした。

宇宙船ジュビリーが消息を絶って2度目の冬になる。航空宇宙局はアーク計画を凍結し、ジュビリーの探索船をソラに向かわせた。ジュビリーの残したと思われるスペースダスト、船体から剥がれたチタン板や一部のモーターが闇に行き場もなく漂ったままになっていたらしい。
だけど、肝心の船体は見つからなかった。熱を放射した痕跡もなく、レーダが検知したのは浮遊する、あるいはどこかへ流されてゆく小さな石ころだった。
早々に探索は打ち切られジュビリーはやがて人類が打ち上げた数々の宇宙船……それが成功だったにせよ、そうでなかったにせよ……の一つになり、そもそもの目的、未知の生命/文明とのコンタクトという大義も忘れ去られた。
時間の進行に逆らえるものは何一つないのかもしれない。
僕らは時間に生かされ、時間に殺される。
それは悲しいけれど、冷酷な事実だった。

今年の冬は冷えるね、そう彼女は言った。暖房が効いた個室、歩いてきた僕は汗ばむくらいでコートを脱いだが、彼女はガウンを着て毛布をかぶり肩にはブランケットを羽織って、さらに僕のコートを抱きしめた。
調子はどうかな、僕は尋ねる。
彼女は黙って首を振る。
そんな日もある、僕は何度繰り返したか分からなく、使用頻度が高すぎて力をなくした言葉で彼女を励ます。
彼女は重く熱のある息を吐く。
ずいぶん痩せた。柔らかかった頬は切り取られたみたいにこけ、目は落ち窪んでいる。

明日、また来るよ。
しばらく話した後、僕は立ち上がった。
気をつけてね。
彼女は窓の外を眺めていた。

病室で話したひとつひとつを反芻しながら、来た道を帰る。
子供達はもういない。
街灯の下でタバコに火を点けて、星のないソラを見上げる。
ちらほらと雪が舞いはじめた。手の平で受けた花は溶けて消えた。
僕にできることなんて、何もない。


その夜、病院から電話があった。彼女だった。
「ジュビリー、見つかったのよ」
意味が飲み込めず、僕は少し考えてから慌ててテレビをつけたが、そんなニュースは流れていなかった。だけど、いつになく張りのある力のある声だったので、否定せずに耳を傾けた。
なんだっていい。少しでも声を聞いていたい。
「やっぱり、ベルカにいるみたい。ジュビリーはなかなか元通りにならなくて、クルーはずいぶん歳を取ってしまったみたいだけど、でも、みんな元気にしてるって」
ベルカ。時間が早く過ぎる星。彼女が想像し、創造した新しい星。
ずいぶん遠くに来た、そんな気がした。
「そう。君が前に言ってたとおりなんだ」
「そうよ。あたしの予想はよく当たるの。知ってるでしょう」
ああ、僕は笑顔になる。彼女は話し続けた。
クルーのなかにひとり、女性がいたじゃない。あの小柄な、わりにきれいな娘。あの娘、メカニックの彼と結婚したのよ。痩せてて、なんだか神経質そうな姿勢の悪かった人。覚えてるでしょう? 「これが宇宙に行く奴かよ」って、会見を見ながら笑ったじゃない? ひとり、不機嫌そうにしてた若い……あたしたちと同じくらいだった人。
あのふたり、ベルカで結婚して幸せにしてるみたい。あのキャプテンて呼ばれてたおじさんはすっかりおじいちゃんになってね、足腰を鍛えるためにジョギングがかかせなくて、メガネをかけた太った人は重力が違う、食べ物も違うベルカですっかり痩せて別人みたい。
でも、ベルカはやはり素敵な星で、夏には流星雨が見られて、冬には虹色のオーロラが見られるの、ベルカはまだまだ地球みたいな科学がなくて、ビルのひとつもなくて、クルーは掘っ建て小屋みたいなのに住んでる。
だから、きっと、きれいなものがたくさんあるんだよね…………。
彼女の話は夜の間、途切れずに続いた。
僕はブラインドを開け放してベルカを探した。雲に隠れ、ひかりは見えないままだったけれど、僕と彼女の間にはこの冬いちばんの暖かい時間が流れた。


朝焼け。オアシスのモーニング・グローリーがステレオから鳴る。
朝焼けの栄光。

なあ、ジュビリー。地球を見ているか。相変わらずの世界で、抱えきれないくらいの悩みを引きずり回しながら、僕らは生きてるんだよ。
なあ、ベルカ。星に願いをたくすよ。君は僕の恋人が創った星だ。創星主なんだ。ひとつだけなら願いを叶えてくれるだろう。
ありがとうジュビリー。
僕にはまた朝が来た。今日また恋人のところへ行くよ。退屈な仕事を済ませて、彼女に会って、またギターを弾いたり詩を書いたりする。

ひとしきり話した後、彼女は「眠るよ」と言って電話はきれた。
僕はいつもと同じ朝を用意して、そして見慣れた街に出た。
立ち止まり、ソラを見上げる。
バイバイ、ジュビリー。
僕は呟き、再び、歩きはじめた。





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2009-10-13 21:34 | カテゴリ:未分類
世界の片隅、ロンドン、トーキョー、パリにバリ、ニューヨークかメキシコシティ、どこにあるのか誰も知らない。
巨大な都市か郊外か、それすら知らない。

分かっているのは店の名前だけ。
キャンディ・ヘブン。
世界でいちばん、ハッピーな店。

薄暗い地下、昼間は雑貨とレコードと本が並んでる。打ちっぱなしのコンクリート、カーリーヘアのパンクスがムラカミハルキを読んでいて、ウインストン食わえたツィッギー気取りのミニスカートがシルバーのマリア像を磨いてる。
ゲバラの肖像画とデニーロのポスター。
水晶のドクロ。
ピロスマキの画集。
階段には一段おきにバラとサボテン、花を愛する女の子が飾り付けてる。トイレのステンドグラスは彼女の手作り、ラリックに逢うのが夢だと話し、道端の花にも水を。

夜を告げるは酷い乱視のメガネをかけたゲイ・ボーイ、トランペットを鳴らして、シェイカーを降り始める。原色だらけのカクテルが並んで恋人たちは歓声あげる。いちばん人気のカクテルはシンパシー・フォー・ザ・デビル、悪魔を憐れむ歌。ブライアン・ジョーンズの汗が混じってる。

最高にハッピーな時間をつくるのがキャンディ・ヘブンのルール。

エルビスを真似た男はストロベリー・ドーナッツをかぶり、似合わないゴシック・ロリータの彼女はモンブランを切り分ける。
スウィート・スウィーツ、作ってるのは艶めく長い髪が自慢のシャム猫に似た女の子、いつだって笑ってる。
みんな、優しい顔をしてる。ピストルなんか要らないって分かってる。

警察官と詐欺師がキスをして、ステージにはロカビリーバンド、スラッピン・ウッドベース、打楽器みたいにリズムを刻むギタリストは天国からやって来た。

クレイジーな夜。ピエロだっている。死人さえ目を覚ます。
革命家の子供はピーナッツを、政治家の娘はライムの入ったビールを、移民たちにはグリルチキンを、タバコには火を。

腰をグラインドさせてダンス、全員モンキー、楽しいことには逆らえないって分かってる。

世界が平和で、愛に満ちたものになればいい。

ようこそ、キャンディ・ヘブン。世界の果ての、天国に近い場所。
夜はこれからだ。

I Love You.

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2009-10-13 21:29 | カテゴリ:未分類
人々の記憶から消えたジュビリー、もうその消息は話題にすらならない。
次から次にろくでもないニュースが溢れ返るから古くなると順に消されてゆく。賞味期限の切れたチーズやミルクがオニオンサラダがためらいなく棄てられるのと同じ。
螺旋を描いて落ちてゆくみたいな世界に生きる。
底に何があるかは誰にも分からず、また、想像さえされない。

どこかで戦争が始まりそうだとキャスターは不安げな顔を浮かべ、ライオンが試験管のなかで生まれては笑顔を張り付け、ストリートチルドレンの増加と犯罪を嘆き、今日もどこかで誰かが殺されていたらしい。
リアル・ワールド。
昨日と似た現実が繰り返されている。
一枚ずつトランプをめくるような現実。ジョーカーの数は毎日、加算されている。
僕たちの憂鬱と悲しみは積み重なり、体が鉛の塊になったような感覚に慣れようともがく。
ブラックホール。
飲み込んだ現実に飲み込まれてる。

彼女との関係は相変わらずのまま夏が終わり、短い秋は2週間で失われ、冬が訪れた。
かつてしなやかに碧かった葉は痩せて乾き、触れるとひび割れて、吹いた冷たい風にさらわれた。
僕と彼女はジュビリーの行方を忘れていない。逢うたびに一言か二言、頼み忘れていた用事のひとつみたいに消えた宇宙船について意見を交わす。
希望的な観測があって、悲観的な意見があって、彼女の空想が一方的に語られることもあった。
それはその時の気分が反映されていて、僕たちが静かで温かな日々をつくれていない証拠として記録され続けていた。
手にしたことにさえ気づかない、ありきたりで平凡な幸福。
それすら持つことができないまま、季節が過ぎてゆく。時間は僕たちを無視して、ひた走るように進んでしまう。
抗う術もなく、僕たちはジュビリーを見失ったまま現実を生きていた。


あの日、宇宙船ジュビリーがベルカに向けて旅立った日、発射をイベントにして様々な催しが行われていた。
ウエスタン・ブーツほどもあるチリ・ドッグの大食い大会でトロフィーを天に掲げたポニーテールの大男は夏の終わりごろに死んだらしい。
アルコールを樽ごと飲み干して、気持ち良く転がっていたうえを貨物列車が通過した。
彼は自分が死んだことすら知らないんだろう。

子供たちに色とりどりの風船を配っていたピエロはメイクをやめ、ある野球チームのマスコットになった。擬人化したサメのヌイグルミのなかに入っている。
“風船を配っていたピエロ、サインボールを子供たちに!!”。


僕の勤めている工場は減産に踏み切り、少なくない人々が仕事を失い、さらに事業の規模は縮小に向かうらしい。
明日は見えない。
彼女は彼女で勤務時間を短縮されて、生活水準の見直しを余儀なくされている。
僕は二人で暮らすことを提案し、ふたりで安いアパートを探し始めたところだ。

「ここでいいじゃない」
どこを見ても大きな違いはない。キッチンが小さいか、シャワーの出がいまひとつか。僕らの工面できる予算のなかではそんな部屋しか案内されなかった。
探し疲れた彼女はその日、下見をする最後の予定の部屋に入るなり、備え付けのベッドにへたり込んで言った。
「ここがいい?」
正直に言えば、もう僕にも思考する気力はなくなっていた。いくつ見ても似たものばかりだ。
「ほら、見て。この部屋は夜の空がよく見える」
南向きの部屋は唯一だったかもしれない。彼女が言うとおり、開け放たれたブラインドの向こうには宇宙に繋がった夜の闇とひかりを放つ星がよく見えた。
「ジュビリーが……」
「ジュビリー? 宇宙船のジュビリー?」
「うん。ジュビリーが叫んでる」
僕は彼女とふたり、小さなベランダに降りて天を仰いだ。
あの日、ベルカと名付けた星はまだ淡いひかりを保ったままだ。
ジュビリー、と僕はつぶやいた。
ジュビリー、と彼女は叫んだ。

ジュビリーはきっと、遠い星を飛び立って、地球を目指しているはずだ。
そんな気がしたんだ。
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2009-10-12 21:01 | カテゴリ:未分類
宇宙船ジュビリーからの交信が途絶えて数ヶ月、季節は移り初夏を迎えていた。木々は生まれたばかりの柔らかくつややかな緑を繁らせ、渡り鳥が巣をつくり始める。
雨季が訪れる前の湿度の低い風が体を滑る。この季節に吹く風は「神様のあくび」なんて言われてる。陽光が地上を優しく見つめ、その心地の良さに人々は世界にある不幸や悲しみや争いや、その他キリがないほどのネガティブな出来事を忘れてしまう。
少なくとも、いま、この世界はそんな空気に満ち溢れていた。

ジュビリーは新たな星、未知の命とその営みを探索するために飛び立った人工の翼、アーク(方舟)計画の要だったが、ミルキーウェイを通過したあたりから通信機器に障害が発生したらしく、一日に5度の定期連絡は3度になり、二日に一度になり、そしてジュビリーのクルーを映すモニタは乱れ砂嵐になり、やがて、音声も途切れ、完全に通信は不可になった。

憶測が憶測を呼び、そしてそれが根拠のあるものでもそうでないものも、悪意から生まれた出鱈目さえも飲み込み、形を変えて、やがて現実のように語られていた。
未発見の深海魚を想像するのと同じだ。グロテスクさが好まれ、奇異に満ちた噂ほど伝播が早い。
たちの悪い伝染病と同じだ、僕はそう思った。

ジュビリーはまだベルカを目指して飛んでるよ、私、そんな気がするんだよね。彼女は時々、ふと思い出したように言う。
ベルカというのは彼女とつけた新しい星の名だ。
子供のころに隣に住んでいた友達の名前らしい。
今はどこで何をしてるのか、連絡先さえ分からないのに、彼女のなかに生き続けてるベルカ。
思い描くいまのベルカは私よりずっときちんとした大人になっていて、当然、足も良くなってて、たぶん、編集者とかアパレル関係の仕事をしてるのよ。
ベルカは生まれつき左足に軽度の障害を持っていたらしい。真っすぐ歩いてるつもりでも、気づいたら少しずつ左に寄ってしまっていた。彼女から聞いた話だ。

僕と彼女は週に一度だけ逢う。僕は生活費稼ぎのための退屈な(想像性がまるでない、そういう意味において)工場仕事をして、夜はギターをつまびきながら少しだけウイスキーを飲む。
詩を書いて、それは定期的に雑誌に掲載されるが、取るに足らないささやかな額なので、それで生活できるわけもなく、詩の原稿料で彼女に小さなプレゼントをする。
彼女は小さなアパートメントに住み、週に4日を大学にある図書館で、2日を知り合いが経営するレストランでウェイトレスをしてる。
土曜の夜から、日曜の夕方、彼女がレストランに働きに出る時間までが二人に与えられたギフト。
今のところは、そんなふうに生きてる。

惑星ベルカには美しい心を持った人々だけが住んでいて、たどりついたジュビリーのクルーは手厚い歓迎を受け、故障した船を修理してる。あまりに遠い星だから地球とは通信が取れなくて、彼らは恋人や家族や友人を毎日毎日心配してる。
彼女は本気でそう思っているみたいだから、僕はそれについて何の反論もしない。
「そうかもしれない。それならいいね」
そう言うだけだ。事実、ジュビリーの行方は誰にも分からず、彼女の意見がまるで妄言だとする根拠もないのだ。
でも、と彼女はため息をつく。
「ベルカは時間の流れ方が早いのよ。地球よりずっとずっとね。だから、彼らが地球に戻ってきたとき、もう彼らはずいぶんな歳になってるわ。そんなの可哀相だよね」
まるでお伽話だ。
だけど、そうかもしれないとも思う。

銀河に消失した宇宙船ジュビリー、彼らは今、何を思うだろう。
僕は彼女の肩を抱く。それができるだけでも、幸せなのかもしれない。

窓の外の夜は星々が瞬いて、宇宙に繋がっているのが分かる。
ナイフみたいに尖った三日月は黄金で、ベルベットみたいにしなやかで濃い闇を切り裂いているみたいだった。
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2009-10-12 10:21 | カテゴリ:未分類
新しい船がゆく。陽光がきらきら反射する銀の宇宙船、その名は「ジュビリー」。
未来を託して、彼らは未知のソラへ旅に出る。
誰も見たはずのない闇が支配する限りのない世界を目指す。
虹がアーチになって、七色のなかを彼らは飛んでゆく。

僕たちは見てるだけ。夜が辺りを覆って、爪先さえも見えない暗がりのなかで、群がる人々に紛れて船が見えなくなるまで宇宙を見つめてる。
夜の空は宇宙に繋がっているんだね、彼女はそう言って僕の指を探す。手繰り寄せるように彼女の細い小さなぬくもりを握りしめる。
星がたくさん見える。すべてに名前があるわけじゃないけれど、目に見えるすべてに名前をつけてゆく。
ベルカ、ストレルカ、アヌビス、カブロン、シュメール、ルシアンハスキー……それから、それから。
そんなにたくさん思いつかなくて、彼女は僕に次をうながす。
星に似合う言葉はあまりに少なくて、僕はただ苦笑いをしてごまかす。

シリウスを超えて、宇宙船は新しい星へゆく。
クルーの一人は「ワンダフル・ジャーニー」なんて繰り返し笑って、体内から込み上げる恐怖と対峙していて、別のクルーはクールに計器を睨んでる。悪くないよ、誰ともつかず独り言。
シリウス、ベガ、遠くにはブラックホール。光を失った星々が声もなく飲み込まれてく。


地上ではブラックホールを体内に飼う太った男たちが大食いを競っていたりする。ホットドッグを108個、9分27秒で食い尽くしたポニーテールがケチャップを垂らして左の腕を天に突き上げる。
呆れたイヌは威嚇するように吠えている。ポニーテールは気づかない、映画スター気取りでトロフィーを掲げてた。


宇宙船は未知の闇を、僕と彼女はその手を決して離さないよう握ってて、ポニーテールは会場端のトイレでホワイトホールになっている。

ベルカの放つ光はきれいで僕らは見とれてる。
宇宙船はもう見えない。
雨は再び落ちてきて、七色アーチは消えてしまってた。
イヌは眠り、僕と彼女は月の光が乗り移った小さな粒を浴びている。
いつか、あたしも宇宙船に乗りたいな、彼女がぽつんと呟いて、僕は声にせず頷いた。


宇宙船ジュビリーはもうモニターのなか、ミルキーウェイを目指してる。
新しい世界を探して、僕たちもまた帰路をゆく。
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2009-10-09 01:50 | カテゴリ:未分類
赤い月。
そんなものが現実にあるだろうか。噂に過ぎないかもしれないし、事実、それを笑い飛ばす天文学者の見解が掲載された新聞が硬いスプリングのベッドの下に放置されていた。日付の周囲の空白にメモ書きがしてある。僕には読めない、別の言語で書かれた走り書きだった。強い筆圧が、書いた主の怒りか焦りか、何か 幸福でない印象を感じさせる。

眠りから覚めた僕が眺める低い天井。隅に張ったクモの巣。ひび割れたランプシェード。
歩き続けた末、たどり着いたのはムーン・バレイの北の最終地点にあるモーテル「ラスト・ヘブン」だった。南から砂漠へ足を踏み入れる者を思い留まらせるためにつけられた名前だと言う。
ここから先は地獄だ、ここは生きる者にとって最後の天国だ、そんな意味らしい。
かつて、ムーン・バレイに向かうのは死を受け入れ、願う者たちの場所だったのだ。
世界は終わらないまま、僕は砂漠を歩き、貫き、いま、再び、生きようとする者たちの地へ戻ってきたのだ。


街ではなくたどり着いたのが小さなモーテルだと知ったティコは、ムーン・バレイに向かう意味を知ることになる。
モーテルの側にある貯水塔、その4本の足に据え付けられた落書きだらけの看板には、こんなふうに綴られていた。

<死者は月へ帰る。だが、この月の砂漠は本当の月ではない。死を命ぜられた罪人は、このムーン・バレイを縦断することでのみ償う機会を与えられた>

赤い月の言い伝えは、この砂漠で息絶えた罪人たちの血によって染められた、彼らにとっての世界の終わりを意味しているのだった。
いくらなんでも……そうティコは思う。無断欠勤したり、家賃は滞納しているけれど、死ぬようなことじゃないし。実際、まだ死にたくないしさ。帰ろうかな。ここ、なんだかヤバイ感じだし。

すでに宿泊の手続きは済ませ、荷物は部屋に放り込んである。狭く埃っぽく、あまり気は乗らないけれど、今日はもう引き返すには疲れ過ぎているし、すでに太陽は傾きつつある。
明日、帰ればいい。アルバイトはまた探そう。
どうせいつか、世界は終わる。あたしはその時まで生きる。


太陽は燃え落ちて、辺りに再び夜が訪れた。耳鳴りがするほどの静寂。
月を見てみたくて、ティコは部屋を抜け、冷たい闇のなかに立つ。焼けた肌を刺すような、刺のある風が吹く。
青白い夜。
青白い砂丘。
ちかちかと明滅する電光が欝陶しくて、ティコは少し歩く。
月の光のなか、給水塔が古びた灯台のように見えた。放置され、ただ立つだけの灯台。
月の砂漠に昇る月は手が届くくらい近く、少しずつ近づいているかのように巨大だった。


給水塔に昇り、細い足場に体を滑りこませて僕は月を眺めていた。部屋から持ち出したウオッカを一口。コートのポケットに入れたまま忘れていたハーモニカ、端が錆びていた。
でたらめに吹いてみる。
乾いて尖る風が心地良かった。
この世界には、自分ひとりしかいないような、そんな気さえする。

「何してんの、あんた」
幻聴かと思った。闇のなか目をやると、手摺りにもたれた人影が見えた。長い髪の女だった。
「月を見てたんだ」
僕はそう応えた。このムーン・バレイで見上げる夜の空は、これで最後になるだろう。
「ヘタなハーモニカ吹いて、月を眺めてるって、相当ヒマなのね」
女はくすりと笑い、そう言った。嫌味な言い方ではなかった。どこか柔らかくて、親密ささえ感じることが出来た。
きっと同類だろう、そんな気がした。
「あたし、ティコ。少しお酒もらえる?」
瓶を手渡すと、ティコは喉を鳴らして一口飲み、大きく息を吐いた。
「あんたは? なんて言うの?」
名乗る名前がなかった。それはずっと過去に捨ててしまい、今は焼却炉で灰になっているだろう。
名前はない、僕は素直に告げた。どう思われるか分からない。罪人かもしれないし、自殺志願者だと思うかもしれない。
どちらも間違いじゃないけれど、正しいわけでもない。
僕は何者ですら、ない。

かんかんかん、踵を鳴らしてティコは僕に歩み寄ってきた。
興味深そうに、僕を眺め回す。
「じゃあ、あたしが名前をつけてあげるよ」
「え?」
「じゃあさ、ベンジーなんてどう? なかなかいいよね」
「ベンジー? なぜベンジー?」
「あたしが小さいころ飼ってた犬の名前。満月になるとクンクン淋しいそうに鳴いてたんだ。だからベンジー。最後は敗血症で死んだんだ、可哀相なベンジー」
へえ、ベンジーか。僕はそう答える。なかなかいい気がした。
ムーン・バレイ最後の夜に僕は新しい名前をもらい、生まれ変わる。
ベンジー。
僕はベンジー。敗血症で死んだ犬の名前をもらって、明日から生きる。

死ぬつもりだったんでしょう? 世界が終わるとか赤い月とか、そんなの本当は興味ないよね。あたしがそうだから、そんな気がする。
ティコが言う。
そうかもしれない、僕は言う。
「ベンジー、あんたさ、明日からどうするの?」
「どうもしない」
どうもしない、ただ、生きるだけだ。赤い月も、ムーン・バレイも過去にして、また、生きる。
それ以外に何があるって言うだろう。
「じゃあ、あたしもそうするよ」
他にないしね。どうせなら狂っちゃうくらい笑って生きてやろうかな。
「うん。それがいい」
狂うくらい笑う。狂っててもいい。
世界は狂っている。
だから、僕もティコも、逆回転して笑う。世界を笑ってやればいい。
そう言うとティコは笑った。意味分かんない、そう言って。

月は変わらず黄金をたずさえ、音もなく頭上に浮かんでいた。

世界は続いてゆく。
僕らを巻き込み、せせら笑いながら。
好きにすればいい。僕も好きにするさ。
ティコは口笛を吹きはじめた。ハーモニカを重ねる。曲はフライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン。
退屈な世界の退屈な歌を、調子の狂ったメロディで歌う。
きっと、それくらいがちょうどいい。


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2009-10-07 23:19 | カテゴリ:未分類
砂漠の昼に吹く風。粒子ひとつひとつが発熱した砂が纏わり付くように僕の全身を被う。
一歩踏み出す。踵が沈んで食い込む。重い次の一歩を持ち上げる。そしてまた大地が足元を奪う。
それを繰り返す。
ムーン・バレイは月の表面に似ている。日なたと日陰の気温差、昼と夜の大気の密度。
どちらにしても快適さとは程遠い。炎のなかを歩くか、氷の上を裸足で行くか。その違いだけ。月と違うのは酸素があるだけだ。
僕は火傷を防ぐために長袖のシャツを着て、厚い生地のタフなワークパンツを履いている。頭にはターバンを巻いている。
無精髭がちりちりと焼けているような気がした。乾いた唇、ひび割れて血が滲む。痛みはない。全身がこの砂漠を拒んで悲鳴をあげ、皮膚は吐き出すように汗をかく。
モーテルを見つけたら、夜を待とう。ここで倒れれば、明日の朝、僕は呼吸さえできないだろう。
ここは観光地じゃない。避難所としてのモーテルがあるだけだ。オアシスと同じ意味を持つ。
燃え上がる炎の玉に睨みつけられながら、僕は気力を絞り上げ、次の休息地を目指していた。


ムーン・バレイが砂漠だということは知っているが、そこがどのような場所なのかティコは知らない。海岸の砂場が延々と広がるようなもの、その程度の知識しかない。
仕方のないことだ。そこは同じ星の、同じ大地に存在していても、まるで別の世界と同じなのだ。
バカンスに行く場所でもなく、また、踏み入れた人の話すら知らない。
名前だけを知る異星と変わらない。
彼女はムーン・バレイに行く術すら知らなかったが、むやみに、そして、ひたすらに車で南へ走るうちに変化する風景を感じていた。
全開にしていてもエアコンが効かず、窓を開けると熔鉱炉のような重い空気が押し入ってくる。
汗が溢れ、太ももに垂れ落ちる。
街があれば、一度休憩して、ムーン・バレイに向かう道を尋ねよう。着替えを買って、日焼け止めも買わなくては足りそうにない。
すでに舗装すらなされていない、赤い土と白い砂が混じる道ではない道、かすかに残った轍を睨んでハンドルを握る。

やがて太陽が焼け落ち、血のように赤い砂の丘が視界に入り始めたころ、ぽつんと灯る青いネオンがかなたに見えた。
街かな、ティコはアクセルを踏み込んで明滅する青を目指した。
夜がすぐそこに迫っている。
「ラスト・ヘブン」、ネオンの文字が輪郭を描いたとき、ティコはムーン・バレイの入口にあるモーテルに辿り着いた。
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2009-10-07 23:17 | カテゴリ:未分類
白く瞬く光。
生まれ変わった太陽が新たな日を始めようとしていた。
発光する空、それを眺めている。
眉を寄せ、目を細めてなお、僕は挑むような眼差しで光を睨み続ける。
僕は名を持たない。
かつてつけられた名はすでに自分の意思により放棄され、葬り去られた。しがみつく影を捩り切るように。
語りたい過去はあるけれど、それを聞く者はいなかった。
名乗れない者は、この世界において不在と同義だということを僕は知っている。

少ない荷物をバックパックに詰め込み、僕は砂漠に点在するモーテルのひとつを後にした。
聖母が刻まれたジッポライターでタバコに火をつけ、大きく吸う。
そして吐き出す。煙が砂まじりの風に流れて、再び、歩き始めた。

ムーン・バレイ。月の谷と呼ばれる広大な砂漠を旅している。
目的らしい目的はない。
強いてそれを言うなら、近く昇るはずの「赤い月」を見届けるためだ。
赤い月。それはこの世界が終わる夜に現れると言う。神話なのか伝承なのかは僕も知らない。
世界の終わる夜を見てみたいだけなのかもしれないし、そこに訪れる誰かと話をしてみたいだけなのかもしれない。

滞在できる時間は無限ではないが、焦りはなかった。名前同様、ほとんど全てを置き去り、なきものにしてきたからだ。
立ち止まり、一握りの砂を掬う。指の間からこぼれてゆく粒。手を広げてみる。白く輝きながら風に奪われ、さらさらと流れてゆく。
追い求め、手にしたつもりだったもの。
感傷的になる胸に吹き抜ける砂の風。
振り返るのをやめ、僕は右足を踏み出した。


ティコは赤く染まる月を何日も待っていた。変わらない月が昇るたびにため息をつき、けれど、眠ってしまうこともできなかった。眠っている間に変色する可能性があるかもしれないと思っているからだ。
昼夜は逆転し、彼女は始めたばかりの(そして、終末が噂される時代においては数少ない)アルバイトを辞めることになった。
別にいい、ティコはそう思う。
どうせ、この世界は終わっちゃうんだから、お金なんかいらない。未払いのままの家賃も、最近買ったばかりのゼブラ柄の野性のシマウマみたいなワンピースのローンだって支払わなくていい。
私は世界が終わる瞬間を見てみたい。
朝が訪れ、空腹を感じたティコは冷蔵庫に置いたまま期限が切れたパンプキン・ロールにかぶりついた。砂糖をまぶしたスチロールみたいだったから、ベッドサイドテーブルの赤ワインを喉を鳴らして飲み干した。
このまま待っているだけじゃ、何も起きないままかもしれない。
部屋の隅に散らかった、新聞や広告を手当たり次第に目を通す。
「ムーン・バレイに集う人々」の記事がある。
世界の最後をパーティのように振る舞う、不謹慎な人々を批判的に書いた記事だった。
これだ。
ティコは立ち上がり、その新聞をくしゃくしゃに丸めて、ジーンズのポケットに突っ込んだ。

行ってみよう、ここへ。アパートになんかいても変化はない、このムーン・バレイに行けば、きっと何かが変わる。
眠気は消し飛び、彼女は慌ただしく旅の用意を始めた。


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